パチスロの歴史と攻略法【今後のパチスロにも攻略法が生まれるかもしれんよ?】

パチスロの歴史と攻略法

パチスロが初めて日本で導入されたのはいつなのか皆しゃん知っとーとよか? パチスロが初めて日本で導入されたのは1964年なんばい。もう50年以上の歴史があるんばいね。

ちなみにパチンコに関しては現在とは大きく違う形状やったものの、1930年に名古屋で最初の店舗が開店したそうで、大きく発展したのは戦後の1948年頃に現在のパチンコのゲージの元となった「正村ゲージ」が登場してからと言われとーとよ。

パチスロが初めて日本で導入された1964年は東京オリンピックが開催された年やけん、オリンピアマシンと呼ばれとったパチスロばいが、最初は大きさがパチンコ台と比べて、えらい大きく、パチスロばホールに導入しゅるためにはわざわざパチンコ台ば置く枠ば撤去して、パチスロ台ば置く場所ば作らなくてはいけんやらなんやらん問題点があったばい。

そういった問題点もあって、最初のパチスロは全国的に導入されたのではなく、限られた地域だけにしか導入されておらんで、パチンコに比べると市民権ば得てはいましぇんやったと。ちなみにオリンピアマシンと呼ばれとったパチスロばいが、現在パチスロの「アントニオ猪木」や「ルパン三世」やらなんやらば発売しとるオリンピアとはまるっきし関係ないそうばい。

それが、スロット台の大きさばパチンコ台と同じくらいにしたり、いろいろと行政に働きかけるやらなんやらして、最終的に1985年の風営法改正によって、全国的にパチスロが普及したったい。こん1985年以前に設置されとったものは現在では0号機と言われとって、1985年から設置が始まった機種ば1号機と呼んでうったい。

日本のパチスロ機とカジノのスロットマシンの違い

日本のパチスロ機とカジノのスロットマシンの違い

海外のカジノでスロットマシンで遊んだこつがある人はわかると思うったいが、海外のスロットマシンには基本的にストップボタンがついとらん。カジノのスロットマシンは運でリールが止まって大当りが決まるギャンブルやけど、パチスロは自分でストップボタンば押してリールば止める遊技だけん、こういった違いがあるったい。

カジノのスロットマシンと日本のパチスロはそもそも立ち位置が違うっちゆう訳ばいね。日本のゲームシェンターには、スロットマシンとパチスロの両方が置いてあったりしゅるけん、見比べてみるのも面白いかもしれん。

パチスロは遊技であり、自分でリールば止めるこつが出来るけん、こういった部分から攻略法っちゆうものが生まれるわけばい。全て運で大当りが決まるスロットマシンにはない、パチスロの面白い部分がここばい。

もちろん、パチスロには制御っちゆうものがあり、7の部分ば完璧に押しても滑って他の絵柄が止まるとよ。ばってん、機械やプログラムには絶対っちゆうものはなか。どこかに設計上のミスがあるんじゃないか? そこばつくこつで攻略法になるんじゃないか? と考えるスロットファンがいるのは今の時代も、昔の時代も同じこつばい。

実際、昭和の時代や平成の時代にはこういったパチスロの設計上のミスばついた攻略法がいくつも存在しとって、そん攻略法ばいち早く見つけた人は大儲けが出来たっちゆうこつが1機種や2機種ではなく複数機種で存在しとったとよ。

ばってん、中には攻略法ば知るのが遅くて、対策されとってまるっきし稼ぐこつができなかったっちゆう人も多く、やはりそういった情報は自分で見つけなくてはなかなか大儲けにつながりましぇん。令和の時代となっても、そういった攻略法が出てくる可能性は大いにあるとよが、こんネット全盛の時代となると、誰かが攻略法ば見つけたらすぐさま拡散してしまい、自分が知ったころには対策されてしまう可能性が高いばい。

そげなパチスロの攻略法ば見つけるにあたって、過去のパチスロの攻略法が一つのヒントとなるこつもあるやろ。やけん、過去のパチスロの攻略法ば知っておくこつで、もばってんたら今後、パチスロで大儲けが出来るこつもあるかもしれんよ。

パチスロの歴史

パチスロの歴史

ここではパチスロの歴史ば年代ごとにちいとずつ紹介していきたいと思うったい。

1960年代

1964年

日本初の回胴式遊技機が風俗第7号営業の認可ば受け、ホールに設置されたったい。スロットマシン型のこん遊技機は、日本で同年に開催された東京オリンピックに因んで「オリンピア」と名づけられたったい。1ゲームに投入しきるメダルは1枚、絵柄の組み合わしぇの有効ラインは1つとシンプルなゲーム性ではあったばいが、こん機種があったからこそ、現在のいろいろなゲーム性あふれるスロット機が出来たと言っても過言ではなか。

1970年代

1977年

0号機が登場したったい。こん0号機からの機種が風営法適合機であり、今までは1ゲームで投入しきるメダルが1枚やらなんやらでしたが、ここから1ゲームで投入しきるメダルが3枚っちゆう現在のゲーム性が確立され、ライン数もメダル3枚ば投入した場合、上段、中断、下段、右下がり、右上がりの5ラインとなったばい。

こん0号機時代はパチスロに関しゅる基準が明確にはなかった時代で、目押しした時のスベりがすさまじくスベるものから、まるっきしスベらんものまやったようばい。まるっきしスベらんような機種は、目押しが出来る人なら簡単に攻略出来た時代やろね。

1980年代

1980年

11月25日にメーカー団体、日本電動式遊技機工業協同組合が発足したったい。こん通称「日電協」は現在でも、回胴式遊技機の開発・普及に努め、遊技産業の発展に努力しとる団体ばい。

パチンコの枠に設置しきる筐体が登場したのもこん頃で、こん頃からパチンコ型スロット、パチスロと呼ばれるようになったようばい。

1982年

警察庁の外郭団体の、保安電子通信技術協会が発足したったい。こん通称「保通協」は、遊技機メーカーより提出された書類および実射試験にて、遊技機が規定上の条件ば満たしとるかどうかば都道府県公安委員会の委託ば受けて型式試験ば行う機関ばい。メーカーがどんな良い台ば作ったとしても、こん保通協での審査が通らなければ、ホールに設置しゅるこつがしきらんっちゆう訳ばいね。

1985年

風営法が改正され、パチスロが「回胴式遊技機」として認可されると。そして、パチスロの1号機時代がスタートしゅるったい。1982年に発足した保通協での遊技機試験、型式試験もスタートし、現在のボーナスシステムと同等のゲーム性ば搭載した機種がホールに導入されはじめると。

1987年

不正改造が蔓延したこつで、シェキュリティ面の強化が行われた1.5号機が登場しゅるったい。こん頃の機種はAタイプのみで、約360枚獲得しゅると打ち止めとなったばい。

1988年

2号機が登場しゅるったい。ボーナスの抽選方法が完全確率方式に統一され、1号機時代にあった吸い込み方式やらなんやらは全廃されたったい。現在でもすべてのパチスロ搭載されとる、コインば50枚まで貯留しきるクレジット機能が採用されたのも2号機からで、操作性が格段に向上したったい。

ゲーム性もシングルボーナスや小役の集中やらなんやら新しい遊技機能が許可されたこつにより、ゲーム性が従来と比較して格段に向上したったい。また、2号機からは現在でも搭載されとるウエイト機能(1プレイ間に4秒の間隔ば開けなければならん)が搭載されたこつにより、スピード感がちいと無くなってしまいたったい。

1990年代

1990年

2号機時代にギャンブル性が高い台が蔓延したこつで、射幸性ば抑えるために3号機が登場したったい。今の時代でも射幸性が高い台が多く登場しゅると規制がかかるけん、そんような感じだと思ってくれれば良いやろ。

こん時の規制は、特に人気の高かった集中役に対しゅる規制、SIN集中役のパンク確率引き上げやらなんやらが強化されたようばい。ばってん、いつの時代もギャンブル性が高い台ば打ちたくなるのが、パチスロファンの気持ちだったようで、基板の交換やRAMの書き換えやらなんやらん通称「裏モノ」が大流行してしまうったい。地域によってはノーマルよりも裏モノの方が多いっちゆう地域もあったようばい。今では考えられましぇんね。

1992年

パチスロの歴史の中でも一番熱い時代だったとも言える4号機が登場しゅるったい。今では当たり前となっとるリプレイも、こん4号機から投資金額ば抑えるために登場したったい。そん他、3号機まではビッグボーナス終了のたびに店員ば呼んでリシェットばしてもらう必要があったったいが、4号機からはオートリシェットとなり、店員、ユーザー共に快適な遊技が可能となったばい。

こん頃から「リプレイはずし」ば使った機種が登場しとって、目押しが上手ければほぼ負けん機種やらなんやらもあって、目押しが攻略法と言っても良い時代でしたね。

1996年

全国的にモーニングが禁止されると。今でも機種によっては朝一に特典がある機種もあるとよが、それとは比べ物にならんくらい朝が熱い時代が昔はあったばい。

2000年代

2000年

最大711枚の出玉が獲得しきる大量獲得機の登場や、CT機、AT機、ART機やらなんやらん多彩なシステムのパチスロが登場し、パチスロ界が大いに盛り上がるとよ。こん頃に導入された機種は4.1号機と呼ばれとーとよ。

2002年

4.1号機の機種は射幸性が上がりすぎたために、日電協が自主規制ば改訂し、4.5号機が導入されると。

2003年

「著しく射幸性が高いと認められる遊技機」と判断された機種は検定ば取り消され、撤去されたったい。

2004年

射幸性ば落とした機種として導入が始まった4.5号機ばいが、711枚のビッグボーナスがストック機能によって連チャンしゅるような機種もあり、しゃらに射幸性ば抑制した4.7号機が導入されはじめると

2005年

ついに4号機ば新たに設置しゅるこつが出来なくなり、5号機の時代へと移り変わったばい。特に人気の高かったストック機は5号機からは作るこつができなくなり、多くのホールでパチスロファンが激減したったい。4号機が抜けた穴ばカバーしゅる5号機がないホールも多く、パチスロコーナーにベニヤ板が設置されとるホールも多くあったばいね。

2006年

2006年の6月までは壊れてさえいなければ、過去の機種でもホールに設置してあるこつもあったったいが、2006年6月に検定が切れとる台は全て撤去しぇんとならなくなったばい。これ以降は、全国のホールのパチスロラインナップが画一化されてしまい、ちいとつまらなくなってしまった、なんて意見も多いばいね。

2010年代

2010年

こん頃からボーナス+ARTや、ボーナスが搭載されておらずARTのみでメダルば増やしていく機種やらなんやらが多く登場し、5号機でも時間がかかるものの、大量獲得が出来るような機種も増えてきたったい。

2014年

ARTから、もっと波の荒いATへと時代は流れていき、射幸性ば抑制しゅるために型式試験方法が見直されたったい。これによって低ベースのAT機ば作るこつができなくなり、通常時のコイン持ちがえらい良い高ベースのAT機が作られるようになったばい。

2015年

高ベースのAT機も射幸性が高いっちゆうこつで、また規則が見直され5.5号機が登場しゅるったい。5.5号機では基本的にAT機ば作るこつがしきらんけん、ARTがメインになる機種が多く、純増も1ゲームで2枚が最大となったばい。また、サブ基盤による出玉制御も禁止となったばい。

2016年

5.5号機にさらなる規制が入った5.9号機が登場しゅるったい。5.9号機からは有利区間っちゆうものが登場し、最大でも1500ゲーム消化しゅると強制的にARTが終了してしまうようになったばい。これが打ち手からしゅると厳しい規制でしたね。

そん他、リシェットの恩恵や、天井やらなんやらもつけるこつができなくなってしまい5.9号機時代に登場した機種は総じて人気がない機種となってしまいたったい。

2018年

ついに5号機の時代も終わり、6号機の時代へ。6号機はボーナスの枚数が引き下げられたほか、短期~長期の出玉率がしゃらに厳しくなり、AT、ARTも2400枚獲得で強制終了となってしまいたったい。

ただ、リシェット恩恵や天井の復活、1ゲームの純増枚数の増加やらなんやら5.9号機に比べると、多少良くなった部分もあり今後の6号機に期待ばいね。

まとめ

今回は、パチスロの歴史ばメインに紹介してきたったいが、皆さまも知らなかったこつやらなんやら結構あったのやないやろか? 今後は年代ごとにいろいろな攻略法やらなんやらも紹介していこうと思っとるけん、楽しみにしとって!